会員紹介

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尾崎都司正さん
名古屋学院大学 商学部  情報ビジネスコミュニケーション学科 教授 名古屋学院大学 大学院経済経営研究科

2009/08/29 ちょっと見つけました

みなさまご無沙汰しています。 明日は日本が変わる日ですね。 今日はちょっとあるものを見つけました。 一 遠き別れに 堪えかねて   この高楼に 登るかな   悲しむなかれ わが友よ   旅の衣を ととのえよ 二 別れといえば 昔より   この人の世の 常なるを   流るる水を 眺むれば   夢はずかしき 涙かな 三 君がさやけき 目の色も   君くれないの くちびるも   君がみどりの 黒髪も   またいつか見ん この別れ 四 君の行くべき やまかわは   落つる涙に 見えわかず   袖のしぐれの 冬の日に   君に贈らん 花もがな これは、「惜別の歌」で中央大学の学歌にもなっています。島崎藤村の詩に、学徒動員生だった藤江英輔が曲をつけたもの。藤江は、中央大学法学部卒業後年新潮社に入社。「週刊新潮」「小説新潮 」の編集に携わり、現在でも活躍している。藤江英輔が、作曲した経緯は別添で紹介しますが、なぜ作曲できたかというと、巖本真理と小学校が同期で、彼女のバイオリンに魅了されて、バイオリン を習い始め、楽譜を読んだり書いたりすることができたからです。 では、巖本真理とはどんな人かと調べた。 日本人の父と米国人の母の間の長女として東京西巣鴨に生まれ、6歳からヴァイオリンを小野アンナに学ぶ。 1935年、私立帝国小学校を4年生で中退。自宅でヴァイオリンの英才教育を受け、1937年(38年説あり)、音楽コンクールで一位となり、天才少女と呼ばれる。 1942年、英語が敵性語とされたことを受け、真理と改名。1946年、20歳で東京音楽学校教授となるが、1950年、辞職して渡米。帰国後、演奏活動を再開、芸術選奨文部大臣賞、芸術祭奨励賞受賞、民放祭最優秀賞受賞などを受賞。 1965年、ブラームスの室内楽曲の全曲連続演奏を行い、毎日芸術賞受賞、レコード・アカデミー賞受賞、モービル音楽賞受賞など総なめ。 1977年、乳癌に罹り手術するが、再発し、惜しまれて53歳で死去。 戦時中東京への度重なる空襲で巣鴨にあった家を焼かれ、敗戦間際の昭和20年に満洲国へ演奏旅行に行き、ハルビンで「ここに住みたい!一度日本に戻ってから家族と一緒に来ましょう」と思って満洲を離れた直後に8月9日のソ連参戦、満洲国崩壊となり、朝鮮南端の釜山まで鉄道で南下し、漁船の ような小さな船やっと8月15日ごろに四国の新居浜に上陸した自叙伝に書いているそうです。ちなみに、巌本の伴奏者として共に満洲へ行き、女史と別れて満洲に残っていた女性ピアニストは、ソ連軍の侵攻による社会崩壊に巻き込まれ「消息不明」になってしまったようです。巌本真理も、歴史から消えてしまう危機一髪の所を乗り越えて日本に帰還できた最初の場所が新居浜。ちょっと新居浜の歴史に1Pつけて欲しいな。 これは世迷いごと。おやすみなさい。