OB・OGインタビュートップ

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人生は巡り会い、人の中で育っていくもの(前編)


取材風景。3名が加藤さんの事務所に伺いました。

聞き手: 本日はありがとうございます。 今回から同窓生へのインタビュー企画を始めていくのですが、第1回目はやはり初代会長の加藤さんからと思いまして。 この会が発足した経緯やどういった経緯で会長になられたのかを教えてもらえればと思います。 加藤: 押条くん(昭和30年卒)から電話がかかってきたのが、最初です。昭和62年になります。 同窓会を発足させよう という動きがありまして、そこに通っていたら、結果的に会長に祭り上げられました(笑) あまり積極的にやろうとか、出しゃばる気はなかったんですけど、考えてみたら、みなさんサラリーマンでしょ、普段の仕事もあって、時間的にも場所的にもなかなか世話できる人がいない状況だったんです。 でも、私は自分で事務所(注:新日本綜合法律事務所)を持っているので、事務所を提供できるからね。やらなしゃーないな ということになったわけです(笑)当時はまだ青野くん(昭和30年卒)も、裁判官でしたしね。 この会の発足は、一にも二にも押条くんの功績が大きいんです。押条くんは、当時勤めていた会社の電話を使って電話をかけまくってくれました。それで第1回に 239人 という人数が集まったわけです。 聞き手: 第1回の開催時期は決まっていたのですか? 加藤: 準備会を何回も開いたので、その中で日にちも決めていきました。その中で会長に祭り上げられたと(笑) 考えたみたら、第1期生ですし、それはやらなしゃーないなと。私の代は、男女共学の第1期生になるんですよ。私たちの同期は10人くらいいてね、今でも出席率がよいと思う。彼らがずっとバックアップしてくれたんですよ、ずーっとね。


学生時代の加藤さんの写真もお借りしました。左下はインタビューを受けて頂いた際の加藤さんです。

聞き手: 改めて、第1回目で200人を超えたというのは、本当にすごいですね。 加藤: 230人強ですよ、これはすごかった。 その会場は「新北京」という中華料理屋で、人数も多かったから狭かったり、席が悪いとか文句も出たんだけど(笑)酒屋をしている人から一等樽を送ってくれたりね、賑やかにやっていましたわ。 司会も白石くん(昭和26年卒)という人がおってね、賑やかにみんな盛り立ててやったんですよ。 それでも第3回くらいになると、100人を切ったり80人くらいのときもありました。 会場手配なども全部指揮して一手にやっていたのだけど、私の仕事もなかなか忙しくて(平成6年に大阪弁護士会の会長選に出られて、会長を務められました) ちょっと停滞してしまったんですよ。 同窓会長として何年かやっていたんですけど、なかなか上手く回らないないこともありましてね、世代交代をしていきました。 同時に、幹事長も何回か替わったのですが、北脇さん(昭和31年卒)が幹事長をされるようになってからは、きちんと回るようになりました。 また、幹事会も総会が盛り上がるように、開催までに何回もやっていましたね。 総会では、80人くらいは集めないと費用倒れになるので、四苦八苦しましたけど、継続するうちに多く集まるようになるだろうから、継続は力なりということで、続けて頑張ってきたんですね。 基本的に手弁当でやっていましたが、まわりの方のご支援もあり、集めた会費から少しずつ積み立てて、繰越金を貯めてきました。 後半につづく>>